Light's Dark Morning 2

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Light's Dark Morning 2 [Karamawari]
Círculo Karamawari
Lanzamiento 04/24/2020
Serie 光の夜闇の朝
Acoplamiento
Edad
R18
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PDF
Misceláneos
Idiomas Admitidos
Recuento de páginas 46ページ
Evento Convenciones de Marzo~Mayo de 2020
Género
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Resumen del producto

人気女形役者と衣裳方のラブストーリー。

前作で身体を繋げた二人の二度目の夜を描きました。
二人が心を通わせるまでの過程をなぞってみました。

A5 本文42P

サンプル

「帰るの……? 泊まっていけば良いのに」
「帰りますよ」
「もう電車無いよ」
「タクシー使いますから」
「無茶言わないの。加々知んちまで幾ら掛かるの」
ぐいと手を引かれる。
「泊まってって?」
するりと両腕が首に回されて距離が詰まる。にこりと両の口端が上がる。酔った白澤は質が悪い。こうなったらもう逃げられない。浅く深く唇が触れる。唇が舌が、触れる離れる絡む。熱く、冷たく。何度も繰り返して。溺れる。長いキス。一瞬離れる。吐息が近い。視線が絡んだら、その目が熱で潤んでいて、堪らず腰を抱き寄せる。白澤の口許が満足そうに緩んだ。頭の中で警鐘が鳴る。解っている。こんな事は長くは続かない。『白澤』は自分のものにはならない。

     ◆

 目が覚めたら見慣れた自室の天井で、長い安堵の溜息が漏れた。下腹に感じる熱に小さく舌打ちをする。寝起きの頭では何が夢なのか現実なのかが判然としない。燻る熱を握り込んだ。自分で触る時は思い通りにできるから。苦しくならないから。相手がいないから自分で慰めるのは楽だ。否。ひとりは嫌だ。温もりが欲しい。『白澤』は自分のものにならない。
視界に入るのは机の上に飾られた数枚の白澤の写真。見なくてももう脳裏にしっかり焼き付いているその写真を殊更凝視する。こうして白澤を汚すのはもう何度目かも分からない。背中を駆け上がる愉悦にも似た背徳感。そして加々知は己の手の中に白を放った。

     ◆
 
 久々の完全オフだったので、心ゆくまで寝ようとしたら妙にリアルな夢を見た。悪夢というより完全に現実とリンクした日常夢だったので更に目覚めが悪い。
あの夜。まるで過ちのように気まぐれに白澤に抱かれた。後悔はしていない。「あのこと」が有ったからと言って二人の関係が何か変わった訳ではなかった。次の日白澤は何事も無かった様に舞台に立ったし、加々知も当たり前の様に白澤の着付けをした。その後も、白澤は飲みの席や食事に加々知を誘ったし、加々知も白澤が酔えば自宅まで送って行った。休日にちょっとした用事を頼まれる事も有る。それ以上でもそれ以下でも無かった。加々知の理解では「あのこと」は無かったことになりつつあった。
時計を見たらもう昼前だったので、無理やり起き出してシャワーを浴びる。少し頭が明瞭になって来る。バスルームを出たらダイニングで祖母と鉢合わせた。
「あら、おはよう。今日は随分ゆっくりなのね。もうすぐお昼が出来るから、お風呂使ったなら食べちゃいなさい」
「おはようございます。今日は久々に丸一日休日なので、ついゆっくりしてしまいました」
「あなた働きすぎなのよ。たまにはゆっくりなさい」
 ころころと笑いながら加々知の祖母はダイニングテーブルの上に料理の乗った皿を並べた。
「あなた、最近楽しそうだわ。良いことよ」
「楽しそう……ですか? 色々悩みは尽きませんが」
「ちょっと前まではそんな顔する子じゃなかったわよ? 憧れの白澤さんとお仕事するのはそんなに楽しい?」
 不意に祖母の口から出た白澤の名前にぎくりと胸が騒ぐ。
後ろめたい事があるので若干しどろもどろになりながら取り繕う。
「白澤さんにはとても良くして頂いています」
「先月の公演見たけれど、あの方の雪姫、益々脂が乗って素晴らしかったわ。あなたが、あの方の着付けを担当してるなんて、私とても鼻が高いわ」
 テーブルには色とりどりに盛られたサラダやパスタがセッティングされて行く。
「羨ましいですね。白澤さんに指名頂くようになってから、あの方の舞台を見る機会が無くなりました」
「それは贅沢というものよ」
 二人は向かい合ってダイニングテーブルに腰を下ろすと昼食を取り始めた 。
「まあ、素行にはちょっと問題が有るけれど、あれだけ華のある女形はそうそう居ないわね」
「私もそう思います。あの方の素行の悪さは芸の素晴らしさで帳消しになると思います」
「お姫様も良いんだけど、夏に観た弁天小僧菊之助も良かったわあ。ああ言う凛々しい役もお上手ね。私ブロマイド買っちゃったわ」
 無邪気に笑う祖母を可愛らしく思いながら加々知はパスタを口に運んだ。祖母は加々知と白澤が個人的な付き合いをしていることを知らない。ましてや、二人が情事に及んでいるとは夢にも思っていないであろう。客席から憧れの眼差しで白澤を眺めていた子供時代から、なんと遠くまで来てしまった事だろう。
「そうだ、あなた今日は予定が有って? 良かったらお芝居を観に行かない? レミゼの切符が二枚有るのよ」
「レミゼですか。新演出になってから観ていませんね」
「あら、そうなの? じゃあ是非観ると良いわ。今年の新キャストもなかなか素敵よ」
「そうですね、お供させて頂きます」

 夕方になると加々知は祖母と一緒に日比谷の帝国劇場に向かった。祖母は洒落た付下げに豪華な銀糸の帯を締めた粋な着物姿。すらりと背の高い加々知も劇場の格に合わせてジャケット着用で出掛けたのでなかなかに衆目を集めるカップルになった。       

劇場のロビーで開演を待っていたら、聴き慣れた声に呼び止められた。
「あれ? 加々知? 珍しい所で会うね」
 声のした方に視線を向ければ、案の定よく見知った顔が有った。
「白澤さん、こんにちは。今日はデートですか?」
 咄嗟に白澤が女性同伴な事を見てとると、少しばかり嫌味混じりの口調で挨拶を返す。
「うん? まあそんなもん。加々知こそ素敵なマダムとご一緒じゃない? 紹介してくれないの?」
「祖母です。おばあさま、こちら白澤さん」
 白澤が目を輝かせて身を乗り出す。
「加々知君のおばあさまですか! いつも加々知君にはお世話になってます。白澤です。以後お見知りおきを」
「まあまあまあ。こんな所で白澤さんにお会いできるだなんて! 舞台いつも拝見してますのよ。さっきもこの子と白澤さんの噂話をしていた所なんです」
「噂話? なんだろう。怖いなあ」
「こちらこそ、この子がご迷惑をお掛けしておりませんか? 不都合があれば何でも遠慮なく仰ってやって下さいね」
「いいえ、加々知君はよくやってくれてます。僕はもう、彼以外のお衣裳さんに着付けをやって貰う気は有りませんから」
 思い掛けず出た宣言に知らず顔が赤くなる。そんなことは直接は言われた事がない。白澤に視線を戻せば、先日加々知がしたコーディネートを忠実に守って服選びをしていたので思わず微笑みが浮かんだ。先週の休みに桃太郎と二人で白澤のクローゼットをひっくり返して何パターンもコーディネートをし、写真に撮ってノートを作ったのだ。先に大阪で買った大量の洋服も全部スクラップした。
この写真以外の着方は絶対にしないようにと厳しく言い渡したのだが、どうやら素直にその言葉に従ってくれているようだ。加々知の選んだ服に身を包んだ白澤は、今までの野暮ったさはすっかり影を潜め、スタイリッシュで格好良く如何にも芸能人、と言った風情であった。女性同伴なのは多少気にはなるものの、デートの時まで素直に自分のコーディネートに従ってくれたのは正直嬉しかったし、自分の采配ひとつで白澤を美しく着飾らせる事ができるのはとても誇らしかった。

「是非今度うちにも遊びにいらして下さいね」
「はい、喜んで、マダム」
 どうやら二人は意気投合したようで何よりだ。加々知は白澤の連れの女性に向かって小さく頭を下げた。モデルかタレントでもあろう。華やかな顔立ちとすらりとした均整の取れたプロポーションがロビーの人混みでも人目を引く。  
開演五分前を示すベルが劇場に鳴り響く。
「じゃあね、加々知。また連絡する」
 白澤は加々知に向かってにこりと笑って手を振ると、連れの女性をエスコートして客席の中へ消えて行った。

 久し振りに仕事抜きで観た舞台は大層感動的で面白かったので、加々知は上機嫌で祖母と帰路に着いた。八王子の自宅に着いたのは日付を回る少し前で、衣服を改めた二人はダイニングで軽くお茶を飲む事にした。
「今日は白澤さんにまでお会い出来てラッキーだったわ。あんなに親しくお話して頂けるなんて、あなたのお陰ね、ありがとう」
「あの方は女性になら誰にでも愛想が良いんですよ」
「あなた達随分と親しいのね? 吃驚しちゃったわ。芸には厳しい方だって聞くし、想像ではもっと業務的な関係かと思っていたけど、意外に親しげなんですもの」
 たった数分間の会話でそこまで分かるものかと内心感心しながら、祖母の言葉に相槌をうつ。
「食事や飲み会や買い物のお供をさせて頂く事がありますよ。私がたくさん食べるのが面白くて誘って下さるようです」
「まあ、そうなの? あなたそんな事一度も話してくれないじゃない。狡いわ」
「わざわざ報告するほどの事でも無いと思ったので」
 困った様にそう答えると、湯飲みの茶を一口啜る。親しいと言われれば確かに否定しようも無いが、大っぴらに触れ回れるような関係でもないので、特に家でも話題にはしなかっただけだ。
「あなた、お友達も少ないし、あんな素敵な方が懇意にして下さるならご縁を大切にしなきゃ駄目よ? 白澤さん、本当にうちに遊びに来て下さるかしら?」
「今度お誘いしてみます。女性のお誘いを断る方じゃ無いですし、いつもご馳走になってばかりなのも申し訳ないですから」
「是非そうして頂戴な。ああ、何だか楽しみになって来たわね」
 はしゃぐ祖母の姿を眺めながら少し不安に駆られる。この家に白澤が遊びに来る。今まで白澤の生活エリアに足を踏み入れた事は何度も有ったが、自分のテリトリーに白澤を招き入れた事は一度も無かった。守るものなど有るはずも無かったが、何とは無しに自分のパーソナルスペースに白澤を入れないことが矜持となっている部分があった。そこを崩してしまったらどうなるのか想像も付かなかった。

 入浴を済ませ自室に帰って寛いでいたら、白澤からの着信が有った。ちらと時計を確認する。午前一時半。
「ごめん、まだ起きてた?」
 言葉とは裏腹な軽薄な声が聞こえる。
「大丈夫ですよ。起きてます」
「暫く会えてないから、声が聴きたくて」
「さっき会ったじゃ無いですか」
「顔だけ見たら呼び水になった」
 本当にこの男は口が回る。白澤のああ言えばこう言うにはずいぶん慣れてきたはずだが、毎回感心してしまう。
「デートしてたのはあなたじゃ無いですか」
「確かにデートはしてたけど」
「こんな時間に電話して来たと言うことは、今日は首尾良く行かなかったんですね」
「煩いなあ。それは僕の都合でしょ?」
 痛い所を突かれたのかやや開き直り気味に白澤が答えた。
「いい気味ですよ」
 ぴしゃりと言ってやったら、何やら暫く間が有った後に再び意気揚々と話し始める。
「加々知今月明治座でしょ? 明日の夜迎えに行くから遊びに来て?」
「私の都合は聞いてくれないんですね?」
「あっ、ごめん! 何か先約有った?」
「特に無いです」
 残念ながら予定は無かったし、白澤の誘いを断らせるほどの用件はちょっと思い付かなかった。
「ああ、良かった。じゃあ、劇場出る時電話して。近くまで車回すから」
 車、と言われて白澤の乗る、赤い派手な国産の高級車を思い浮かべて溜息が漏れる。
「いや、あなたの車目立つんでいいです。電車で行きますので」
「えーっ? 駄目? 迎えに行かせてよ」
「マンションで待ってて下さい。その……、ちゃんと行きますから」
「加々知がそうしたいなら、それでもいいや。待ってる」
 しょんぼりとした声にちくりと胸が痛む。自分は全面的に白澤に弱い。
「あー、やっぱり迎えに来てもいいです。迎えに来て下さい」
 毎回こうやって白澤には負けてしまう。自分の弱さ、不甲斐なさが情け無くなるが、その実、白澤に屈する度に甘美な陶酔感がじわりと湧いて来る。それが何を意味するかはあまり考えないことにした。

     ◆

結局次の日の夜、仕事が終わるのを見計らって、白澤は劇場の近くまで車で加々知を迎えに来た。流石に楽屋口に派手な車が止まるのは憚られたので、一ブロック先の路上で二人は落ちあった。
「別に楽屋前でも良かったんじゃない?」
 詰まらなそうに呟く白澤を横に、助手席に乗り込むとシートベルトを締めた
「面白おかしく変な噂の種になるのは真っ平です」
「週刊誌沙汰になるのは御免だっけ」
「はい」
 白澤は困ったように苦笑を漏らすと、ハンドルを握って正面を見た。
「食事は? どっかで食べて行く?」
「開演前に済ませましたので大丈夫です」
「OK。じゃあ、とりあえず帰ろうか」
 白澤は小さく頷くと、ゆっくりアクセルを踏み込んで車を発進させた。

「ワインにする? それともビールが良い? 加々知は日本酒の方が良いんだっけ?」
 ダイニングから白澤の声が掛かる。リビングのソファに鞄を落としてから加々知もダイニングに向かう。
「あ……ワインを」
「了解。白で良いかな」
「はい、何でも大丈夫です」
「良い白を戴いたから今日は白ね。冷蔵庫の野菜室にチーズが入ってるから、開けて好きなの出して? 適当に盛り合わせてくれるかな」
「わかりました」
 言われた通りに素直に冷蔵庫向かう。野菜室と思われる大きな引き出しを開くと、色とりどりの野菜と一緒に丁寧にラップで包まれてジプロックに入れられたチーズの塊がいくつも出て来たので、取り出してダイニングテーブルの上に並べた。余りに野菜室が充実していたので、他の扉の中も気になって試しに開けてみたら、肉も卵も牛乳も潤沢で思わず感嘆の声が上がる。
「白澤さん、自炊するんですね。冷蔵庫の中凄い充実してる」
「自炊は割とするかな。冷蔵庫の中は週二回来るハウスキーパーのお姉さんに管理してもらってる。」
「確かにあなたがスーパーで買い物してる姿は想像できません」
「買い物位するよ? 休みの日には気分転換にスーパー行ったりもするし」
「そうなんですね。イメージだと食事なんかは全部外食で済ませてそうな感じがします」
「役者は体が資本だからね。なるべく自分で作るようにはしてる。まあ、見ての通り外食は多いし、レトルトとか缶詰でズルすることも多いけどね」
 話している間にも白澤はレタスと胡瓜とハムを刻んで簡単なサラダを作り上げた。
「ナイフは真ん中の引き出しの中。チーズナイフの使い方わかる?」
「わかります」
「柔らかいチーズはチーズナイフで。堅いのはペティナイフ使って? お皿は食器棚から適当に」
 食器棚を覗いたら高価そうな食器ばかりがセンス良く並んでいたので、気に入った大皿を一枚取り出してチーズを並べる。
「トマト食べる?」
「食べます」
「オリーブは?」
「好きですよ」
 特に宣言もないままに白澤はオードブルを用意し始めたようだった。手際良く食材を切って皿に並べて行く。普段の姿からは想像も付かない程白澤が家事に長けている事は明白であった。ハウスキーパーが入るとは聞いたものの、過不足なく凡帳面に整えられた室内は主人の性質を良く表しているように思えた
 加々知が盛り付けたチーズの皿と白澤が用意したサラダとオードブルの皿をダイニングテーブルにセットする。はたと思い付いて、取り皿とフォークを探していたら背中から声が降って来る。
「カトラリーは左の引き出しの中だよ」
 振り向いたらワインの瓶とワイングラスを持った白澤がにこりと笑ったので、引き出しを開けてフォークを二本取り出し、食器棚から皿を二枚重ねて出すとそれぞれテーブルの上に並べた。
 白澤と向かい合ってテーブルに着く。白澤が器用にワンアクションでコルクを抜いた。なみなみと白ワインが二つのワイングラスに注がれる。
「お疲れ様。今度の仕事はどう? 僕が居なくて寂しくない?」
 白澤がグラスを取ったので自分もグラスを取る。ちょっとグラスとグラスを合わせて乾杯をした。
「……あなたが居ないと、心安らかで良いです」
 ぽつりと呟いてワインに口を付ける。今月白澤は舞台の出演が無い。指名がなければ社員は会社の采配で配置されるので、今月の加々知の現場は明治座の現代劇であった。
「僕は加々知が他の人の着付けをしてると思うと、心穏やかじゃ無いけどね」
「仕事ですから」
 態と素っ気なく返すとグラスを呷る。
「そうだけど、僕の加々知だから」
「錯覚ですよ、そんなの」
 空になった加々知のグラスに白澤がワインを注ぎ足す。
「仕事じゃ仕方ないけど、今月加々知に着せて貰ってる女優が羨ましいな」
「あなた、私の年間スケジュールの殆どを押さえたじゃないですか。この上まだ無茶言わないで下さい」
ごくごくと、丸で水を飲むように加々知のワインは進む。
それを白澤は笑いながら、横からワインを注ぎ足した。
「会社辞めて僕の専属になれば?」
「嫌ですよ。あなたに飽きられたら食い詰めるじゃないですか」
「飽きないし」
「今だけですよ。そのうちあなた私に飽きますよ」
「冷たいなあ」
「私は優しくありませんから」
グラスが空になる端からワインが注ぎ足される。加々知を飲ませる事を白澤は楽しんでいるようだった。
実際問題、白澤に振り回されるのは懲り懲りだし、出来ることなら仕事以外はそっとして置いて欲しかった。なのに浅ましくもこうして呼び出される度に、のこのこと応じてしまう己の意志の弱さが恨めしかった。
 白澤と食事をするのは苦では無い。寧ろ楽しかったし、席を共にすればいつまでも一緒に居たいくらいだった。
酔っぱらった白澤を自宅やホテルの部屋まで送り届ける仕事も内心は嬉しかったし役得とさえ思っている。「あのこと」さえ無かったことにしてしまえば、至極二人の仲は上手くいっているのだ。
「どうしたの? 考え事?」
 グラスを呷る手が止まったので白澤が顔を覗き込んで来た。
「いえ、なんでもありません。このワイン美味しいなと思って」
「口に合った? 加々知好きそうだと思ったから、飲まずに取って置いたんだけど。気に入ったなら空けちゃっていいよ。今他にも色々有るから。お酒は割と良く戴くんだ」
 楽しい酒盛りは夜更まで続いた。二人でワインを三本空けた辺りでその夜はお開きになった。

「客間の準備してあるから、加々知はそっちで寝て?」
「この部屋客間まであるんですか」
「夜遅くて次の日朝早い時とか桃太郎君に泊まってもらう事が多いから、サブベッドルームをひとつ客間にしてるの」
玄関を入って直ぐの部屋に通された。客間だと言うその部屋はシンプルなインテリアにシングルベッドがひとつとデスクがひとつ置いて有るだけのホテルのような部屋だった。
ベッドの上にパジャマが一組とバスタオルとフェイスタオルが一枚ずつ置いてあるのもホテルっぽさを醸し出している。
「一応準備してみたけど、桃太郎君以外の人が泊まるの初めてだから、足りないものがあったら言って? バスルームもキッチンも好きに使って良いから」
 白澤が出て行ったあと、漸くどさりとベッドに腰を降す。
いつもは桃太郎が使うと言う客間に通されるのが、今の自分と白澤の距離感なのだと思うと合点がいった。所詮自分は白澤に取ってお気に入りのスタッフの一人でしかないのだと思うと乾いた笑いが出た。
 そう。白澤は決して自分のものにはならないのだ。

     ◆
 加々知を客間に案内した後、散らかったダイニングテーブルの上を片付けながら白澤は溜息を吐いた。結局何も言えずできないまま加々知を客間に通した事への後悔と安堵に同時に襲われて苦しかった。
 客間に、と言った時、加々知が一瞬寂しそうな顔をした様に見えたのは、自分の希望的観測だろう。急な呼び出しにも嫌な顔ひとつせずに遊びに来て貰えただけでも満足するべきであろう。自分はいつも求めすぎる。
 あの日以来、凍りついたままの二人の関係に決着をつけるつもりで加々知を招いたのに、自分が選んだのは加々知を客間に通す道だった。自分は求めすぎている。加々知が欲しいし加々知を失いたく無い。両方叶えるのは単純で、けれどもとても難しかった。
 もし自分の寝室に誘ったら加々知はどんな顔をしただろう。困るだろうか? 怒っただろうか? 悲しんだだろうか? 喜んで受け入れて貰える可能性だってあるはずだが、不思議とそちらは思い浮かばない。想像は悪い方ばかりに傾いてしまう。
 ぼんやり考え事をしながら洗い物をしていたら、グラスを取り落とした。瞬間鋭い痛みが走る。親指の付け根から血が吹き出したのを見て我に帰る。
 取り敢えず傷口を流水で洗う。赤い血が水に混じって排水溝に吸い込まれて行く。
「痛い……」
 白澤の嗚咽が水音に掻き消されていく。痛いのは手の怪我だけでは無かった。

     ◆

 用意されたままに着替えてベッドに入ったは良いものの、寝付けないまま時間が過ぎて行く。加々知は何度目か分からない寝返りを打って天井を眺めた。
 寝付けない理由は薄々わかっていた。心のどこかで、この部屋で眠ることに納得していないのだ。
 ぐだくだと考えることに飽きてしまってベッドの上で体を起こす。寝ても起きても出るのは溜息ばかりで、冴えないことこの上無かった。
「はぁ……」
 もう一度声に出して大きな溜息を吐いてから、意を決してベッドから降りキッチンに向かった。
 洗い籠に伏せられていたマグカップを取って水を汲む。
三口程水を飲んだらようやく気持ちが落ち着いて来た。
今からしようとしている事を思うと心臓が早鐘を打つ。
(失敗したら酒のせいにすれば良いし)
 歩きながら用意した言い訳を繰り返してみたら少し安心した。言い訳にするには充分な量を飲んだはずだ。
加々知は祈るような思いを込めて白澤の寝室のドアをノックした。

     ◆

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