Nya recensioner
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31/03/2024
4種類の職業の男性キャラが入っており、どのキャラも強そうだと感じました。
シルエット素材なのでモブ向きですが、登場人物全員シルエットのノベルゲームにするのであれば強キャラになってくれること間違いなしだと思います。
大きなサイズのピクセル数が内容欄に書かれていませんが、すべて1000×1248pxとなっています。
また、全身ではなく膝上までなのでその点ご注意ください。
ゲーム用途と考えれば問題ないと思いますし、他シリーズと併せて使うのもオススメです。
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元々新鮮な体験欲しくてあらすじ読んでなくて甘々だけの話かと思って聞いたら目を閉じれば音声作品で泣きゲーを一通り体験したように素晴らしかったです。
もしも自分で会えたら自分もきっとその選択するだろうと共感あるシナリオでした。石見さん冬の彼女の演技からも最高に幸せを感じられるし、他のキャラも演じてるので普段聞けない声も聞けるとても良かったです。
本編本当に彼女に一緒に生活してるみたいに声と音だけでも感じられるのでとても幸せで切ないひとときでした、ちょっと蛇足になるかもしれないけどもうちょっと少し時間や後日談欲しいです。願わくは末永く幸せになって欲しいです。
今回本当にとても満足な体験させていただいのでまた石見さんのシナリオものASMR次回作楽しみにしてます!
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31/03/2024
立ち絵を黒く塗りつぶしてシルエット化……ではなく、最初からシルエットとなっている貴重な素材です。
キャラは全身ではなく膝上くらいですが、モブという用途を考えればそれでも十分だと思います。
大きいサイズは武器を持った兵士に合わせてすべて1000×1440となっており、他のキャラの余白をトリミングするならもう少し小さくなります。
ゲームに使うのなら問題ない大きさだと思いますので、サンプルを見て気になったら是非!
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全編、抑えられた色調が美しく、
懐かしく、なんだか、胸が締め付けられます。
一コマ目の陽ちゃんの顔をみた時から、
キャラの絵柄がものすごく、好みで、
惹きつけられました。
そういう、絵ってあるんです、本当に。
玲奈は美人さんで、年相応に素直で、愛とか恋とかまだ、分からないけど、
違う物は違うと、直感で分かる子なのね。
そんな二人の、懐かしい日々。
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31/03/2024
シーンとしては1か所で3種類の時間帯があります。
雨の他に草木や雲も動きますが、実際どう動くのかというのはサンプルがあり購入前にしっかり確認できるので助かります。
使い道としてはかなり絞られるとは思いますが、梅雨の時期にピッタリの動画だと思います。
また、人工物がないため現代作品以外にもファンタジー・歴史物等幅広く使えそうなので、サンプルを見て「これだ!」と思ったら購入して損はありません。
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31/03/2024
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31/03/2024
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31/03/2024
イージーモードでのプレイをおすすめします。
ノーマルモードは意地でもクリアしようと奮闘しているのですが多分無理です(笑)
最初はプレイ方法すらよくわからず戸惑うかもしれませんが、ここで言ってしまっては楽しみも半減してしまうので、そこも含めて模索しつつ楽しんでプレイしてください!
いやでもほんとにむずすぎてクリアできる気しないな
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ほとんどの音声作品は、聞き手が何かをもらうだけの一方的な関係になる。
だけど、ごくまれにギブアンドテイクが成り立つのだ。
その一つが『花様年華 -少女に飼われるペットな私-』だと感じる。
音声作品の絶望は、登場人物たちに何も『干渉』できない点、『鑑賞』することしかできない点にあると思う。
本作でもそれは同様で、彼女、"柳雪音"は14歳という子供でありながら保護者となる人物は不在で、孤独であり、何かしらの特殊な事情を感じさせる。
しかし、聞き手である"あなた"は聞き手であるからこそ、何もすることはできない。
彼女を助けたいと願っても、自らの意志で手を差し伸べることは不可能だ。
彼女の声を聴くと、どうしようもない寂寥感に包まれる。
どこにも居場所がないことを諦観している少女のような声色を、CV:高田憂希が魂を込めて演じている。
彼女の声は熱量がないのではなく、体温が35.4℃くらいの少女のような声色なのだ。
これは声を聴いてくれたら伝わると思うが、あまりにも浮世離れしていて存在すらも疑ってしまう、幽鬼のような存在なのだ。
しかし、触れた肌の体温(のこすれる音)から、確かに彼女はここに"在る"ことを感じさせてくれる。
本作のような音声作品で特に珍しいと思ったのが、彼女に名前を呼ばれることだと思う。
基本的に音声作品というものは固有の名前を呼ばれることはない。
しかし、本作では雪音に"あめ"という名前を与えられる。
ここに一番たいせつな意味があるように私は感じた。彼女に名前を呼ばれると、とても嬉しく感じる自分がいた。
先ほども言ったように、音声作品は基本的に鑑賞することしかできない。
しかし、本当にそうなのだろうか?
鑑賞は干渉することではないのか?
雪音の声に耳を傾けることで、私は彼女に少しでも安らぎを与えられたのではないのか?
これから雨音を聴くたび、私は彼女を思い出す。
四月に近づいたとある日に聴いた、雪溶けの音を。
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